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手紙

 文通というか手紙交換は大学は全然だけど、小学校~高校から高校まではよくしてた。小学校は交換ノートなんてものも流行ってて4人とかで回したりしてた。中学では嵐が好きだったから同じような友達と毎日のように手紙交換した。高校は同じ部活で仲がいい友達と手紙交換してたけど、あまりに書く内容が 多いからノートに書くようになって交換ノート形式になった。
手紙交換、そんなことしなくても喋ったら済む話なんだけどそうではない。手紙の中だけじゃなくて、その人と喋ってもいるし違うんだなぁ。何だろう。その人の文字とか手紙での言葉、興奮、伝えたいことなど、手紙ならではの良さがあると思う。
大学に入ってそんなことはめっきりしなくなった。手紙を書くことなんて誰かの誕生日とかの年に何回か書くかどうか。その分貰った時は嬉しい。昔はあんなに毎日のように書いてても話題がつきなかったのに、誕生日に手紙を書くだけですごく疲れるし、しかも何を書けばいいのかもよくわからない。 あの頃はいったい何を書いてたのか。誕生日の日にしか書かないからこそ書けないのかもしれない。

 大学に入って、好きな人に何回か手紙を書いた。年賀状含め3回ぐらい。去年の夏は一緒に花火見たい!なんて書いたっけなぁ。結局見れなかったというか、花火はこの日っていうのがあるし近くに住んでるわけでもないし、場所とかもアレで叶わなかった。そんな話さえもしなかったけど。相手はもうそんなこと覚えてもないんだろうな。
去年は年賀状の交換もした。今年は送ったけど私が出すの遅かったということもあり、返事を求めるのもおかしいし、返事はラインで来た。ラインで返してもらっても困る。年賀状には年賀状で返せよ。私は相手からの年賀状をどこかで期待していたのでショックだった。私が悪いのかな。 年賀状一昨年(2014)は大学の友達とか12枚ぐらいは出したけど全然返ってこなかったから、去年(2015)は出して返ってきた人限定で9枚出して返ってきたのは4人。年賀状出してる方がバカみたいだよね。来年というか今年(2016)は私にくれた人だけ返して自分からは送らないと心に誓った。

 年賀状を含め、手紙を貰うのは嬉しい。その人が私のために書いて送ってくれたのだから。ただ送るんじゃない、贈るのだ。好きな人には年賀状しかもらったことがない。してくれてない、という言い方をしてるようですごく嫌だけど、そういう言い方になってしまうな。でも私のために曲を作ってくれたりだとか、その人のバンドの曲とか手紙ではないけれど、言葉の贈り物はたくさんある。
文通したいなぁと思った。手紙はモノ、だからその人の選んだ便箋、書いてある文章はもちろん文字がきちんと存在してて素晴らしい。文通なんてしようと思ったらまず、私なんかと文通してくれる相手が必要になる。そんな人はまずいない。 それを言ったら終わりだ。というか、文通してあげよう、と誰かに言われるとする。でも私がしたい相手はたぶんその人ではない。叶わない相手だ。だから、文通したいなんて言い続けても叶わない。ラインで返すような人だし。 手紙はモノとして存在してるから見返すことができるけれど、なんだろう、それが文通なり手紙交換なりで続いてるモノならば見返すとニヤニヤしちゃって楽しいかもしれない。でも終わってるものなら、懐かしさと悲しみが湧いてくると思う。私は。モノとして残るのは素晴らしいことだけど、嬉しいだけじゃない。